アマチュア無線局JA2FJGの原点 ! 何もないところからスタート

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10GHz TRV 基板

何もないところから始まりました

小学校の4.5年生の時近所のお兄さんから、今までに見た事もない小さな奇妙なものをもらいました。図書館で調べてみると鉱石検波器なる代物だとわかりました。
正体が判明してどうやらラジオに使うモノだとまでは、知る事ができました。
もちろん知識もないし、他に必要なパーツもありません。

学校の図書館にも、鉱石検波器を調べた時の事典くらいしかありません。
幸いな事に同級生のお兄さんが、その方面に詳しくて不要になった雑誌類ももらえる事になりました。当時は無線関係の雑誌は今とは比べ物にならないほど沢山の種類がありましたし、入門用の本には実態配線図が載っておりました。

もちろんもらってきた雑誌も難しくて内容は良く分かりませんが、写真などに写っているラジオや電蓄の美しさには大変興味を抱きました。
ただ一冊だけ確か杉本哲さんだったと思いますが、同氏のの書かれた入門者向けの本だけは少しだけ内容が理解できました。

鉱石ラジオからスタート

貴重な鉱石検波器にスパイダーコイルを巻いて、バリコンはボッコ屋さんからもらってきた古いラジオから取り外し。
マグネチックレシーバーだけは、乏しいお小遣いを貯めて購入。
部品集めには随分苦労しましたが、今では簡単にそろえる事ができます。


部品さえ揃えば簡単な構成なので、一時間もあれば完成です。
問題はアンテナです。
当時ウチに合ったラジオはまだ並四で、アンテナは電灯線アンテナを使っておりました。
電灯線アンテナとは、家庭用のAC100Vからコンデンサーを介してアンテナ端子に接続するだけです。

当時住んでいた善通寺市は、電波状況が芳しくなく辛うじてNHKと西日本放送だけがかすかに聞こえる程度でした。
正確には聞こえたような気がした程度の状態でした。

鉱石ラジオから真空管式へ

鉱石検波器に電灯線アンテナで始めたラジオいじりも、真空管に変わり、ST管からスタート。
0V1 6C6-6ZP1-12Fから始まり、5球スーパー(6WC5-6D6-6ZDH3A-6ZP1-12F)へと進んでいきました。

工具らしい工具の持ち合わせはありませんでしたが、幸いにもこの頃は並4用、5球スーパー用の穴あきシャーシーが、田舎でも手に入りました。
また小さな町ですが、電気屋さんは今と違って何軒かありました。

やがてMT管に昇格し同じ5球スーパーでも6BE6-6BD6-6AV6-6AR5-6X4の構成。
最初は5球スーパーにコンバーターをつけて短波帯を聴いておりました。
その後トリオのコイルパックに変更し高1中2となり、短波放送を聞きSWLに夢中になりベリカードを集めるのが楽しみになっておりました。


アマチュア無線との出会い

その過程でアマチュア無線の存在を知り友達と自転車でHAM行脚。
相手の迷惑かえりみずお邪魔しましたがいろいろと教えて頂きました。
当時市内には1局しかありませんでしたので遠征もしました。
厚かましくお邪魔したOMさんはみなさん親切で、CQ誌を貸していただいたり、真空管をはじめいろいろなパーツ類を頂いたりしました。
この時の経験が、長続きする原因になっております。

やがて送信機も製作

水晶(FT243)を使い送信機も作りました。
76-6ZP1から始まり807が加わりました。
送信したか否かは内緒(50年以上たっているので時効)です。

工具といっても半田鏝、ハンドドリル、ヤスリ、ニッパー位しかなく、ラジオ用の穴あきシャーシーはありましたが、送信機用の穴あきシャーシーは販売されておりませんので、ハンドドリルとヤスリで加工。
けっこう大変な作業で、靴下に切粉をつけたまま登校しておりました。

JA2FJG開局

当時まだ無線従事者の試験は四国では松山だけで、前日から出かけなければ、受験はできません。
高校生の身分ではとても無理であきらめるしかありません。
その後就職し愛知県に移り、豊川の下宿でJA2FJGを開局。

9R59に807でHFのAMから始まり、50MhzのAM,FMも加わり144Mhzは真空管(6AQ5,829B等)で挑戦するもあえなく敗退。
高周波の難しさを実感させられました。

アマチュアテレビをやりたくて2アマを取得しHF(7Mhz)でCWに夢中になり、以後和文でのラグチューに熱中。
HF機も主力はTS510に変わり、メーカー製の機器に変わると共に真空管での製作は休業状態へと。

トランジスターに挑戦

しばらく休業状態が続きましたが、1960年代の後半からトランジスターを使用した機器の製作を始めました。
少しブランクがあり東通工(SONY)の1TXX等は使った経験はなく、NECからマイクロディスクとかいったシリコントランジスターで、高周波特性がよく安価なものが出回るようになってからです。

基板にマジックインキで直描きから始めましたが、マジックインキの種類によって出来映えがずいぶん違いました。
各社の各色(全部ではありません)をいろいろ試しましたが、私が使った範囲ではパイロットのペイントマーカー?のホワイトが、一番良かったように記憶しています。

ホワイトが良かったのは意外ですが、基板へののりが良く基板の下処理が少しいい加減でも、結構な出来映えでした。

やがてメーカー製の無線機が主力

599ライン、TS-520D、TS-770が加わり、CWでDXの真似事(英語が喋れませんので)、1970代から1980年代にかけて、衛星通信(アンテナが固定で回転できませんので少しの時間だけ)
衛星通信を運用する過程で144MHz,430MHzのトランスバーターを製作し以後マイクロウェーブに憑りつかれていきます。

プリント基板製作の変遷

プリント基板の製作には、まだこの時期はマジックインキ、レタリング、テープを使用しておりました。
マイクロウェーブの製作を始めるようになると、細かなバイアスライン等も必要になってきますので、手書きでは無理です。
必然的にCADを導入しフォトエッチングへと変わっていきます。

エッチング装置、ライトボックス、基板カッター等とサンハヤトではいろいろと購入しました。
さらにサンハヤトでは感光基板はガラエポまでしか販売しておりませんので、テフロン基板は持ち込みで、感光材の塗布もやっていただきました。
ただハムショップ経由でしたので、たまにパーツを購入するぐらいの顧客でしたので、お店にすれば迷惑だったと思います。



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