アマチュア無線局JA2FJGを開局して58年 ! 我ながらよく続いたと感心する !

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トリオ 9R-59

鉱石検波器からスタート

アマチュア無線局(JA2FJG)を開局して55年になりましたが、そもそものきっかけはもう少し昔にさかのぼります。
小学4年生の頃にひょんなことから鉱石検波器を手に入れました。
最初はなんだか分からずにおりましたが、図書館で調べているうちに鉱石検波器だと判明しました。
確かFOXTONの物だったと今でも覚えております。

正体が分かったことで今度はこれを何とか使ってみたいと思い、図書館から「初歩のラジオ」を借りてきて鉱石ラジオ作りが始まりました。
スパイダーコイルにエナメル線を巻きマグネチックレシーバーです。
竹竿2本でアンテナを建て辛うじてNHKが蚊の鳴くような声で聞こえた時は感動しました。

ラジオ作りに夢中

これがきっかけで勉強はおろそかになり、ラジオいじりに熱中していく事となります。
ボッコ屋でもらってきた壊れたラジオから真空管、トランス、バリコン等を取り出し、
ST管の 6C6-6ZP1-12Fの構成による0V1から5球スーパー 6WC5-6D6-6ZDH3A-6ZP1-12Fへと進化していきます。

工具らしい工具はありませんでしたが、幸いにもこの頃は並4用、5球スーパー用の穴あきシャーシーが、田舎でも手に入りました。
中学生になる頃には真空管がMT管に昇格し5球スーパー 6BE6-6BD6-6AV6-6AR5-6X4。
最初は5球スーパーにコンバーターをつけて短波帯を聴いておりました。
その後トリオのコイルパックに変更し高1中2となり、短波放送を聞きSWLに熱中しておりました。

アマチュア無線との出会い

その頃アマチュア無線の存在を知り友達と自転車でHAM行脚。
相手の迷惑もかえりみず夜遅くまでお邪魔しましたがいろいろと教えて頂きました。
当時市内にはアマチュア無線局は1局しかありませんでしたので遠征もしました。

厚かましくお邪魔したOMさんはみなさん親切で、CQ誌を貸していただいたり、真空管をはじめいろいろなパーツ類を頂いたりしました。
この時の経験が、長続きする原因になっております。

水晶(FT243)を使いAMの送信機も作りました。
76-6ZP1から始まりやがて807が加わりました。
送信したか否かは内緒(50年以上たっているので時効)。

工具といっても半田鏝、ハンドドリル、ヤスリ、ニッパー位しかなく、送信機用の穴あきシャーシーは販売されておりませんので、ハンドドリルとヤスリだけで加工。
もうこの頃は夢中になっており、徹夜に近いような状態で、靴下に切粉をつけたまま登校するような有様。
今の電動工具と違って効率は極めて悪いのですが、静かな事だけが取り柄で、家人に気づかれる事もありません。

豊川にてJA2FJG開局

 当時まだ無線従事者の試験は四国では松山だけで、前日から出かけなければ、受験はできません。
高校生の身分ではとても無理であきらめるしかありません。その後就職し愛知県に移り、豊川の下宿でJA2FJGを開局。
9R42に807でHFのAMから始まり、50MhzのAM,FMも加わりましたが、当時のテレビはVHFの名古屋の放送局を受信しておりましたので、TVIには随分悩まされました。
144Mhzも真空管(6AQ5,829B等)で挑戦するも私の当時の技術力ではあえなく敗退。

2アマを受験

144MHzの失敗にも懲りず430MHz(まだ真空管です)のATVをやりたくて2アマを受験。
当時テレビをやるには2アマ以上の資格が必要でした。
名古屋まで出かけて受験。
モールスは自身はあったのですが、試験官と対面で印字機を使っての送信の試験なのでめちゃくちゃあがってしまい、とんでもないスピードで打ってしまいました。
それでもどうにか一発で合格。

2アマを獲得しHF(7Mhz)でA1に出るようになりテレビの事はすっかり忘れてしまい和文でのラグチューに熱中しておりました。
その後アマチュア無線の世界もAMからSSBへと変わっていきます。
SSBも自作したかったのですが、仕事も忙しくなりメーカー製の出番となります。
さすがに学生時代のように徹夜で翌日ぼぉーとという訳にはいきません。

HF機もTS510に変わり、やがてメーカー製の無線機が主力となり、599ライン、TS-520D、TS-770が加わり、CWでDXの真似事(英語が喋れませんので)、メーカー製の機器に変わると共に真空管での製作は休業状態へと。

トランジスターに挑戦

しばらく休業状態が続きましたが、1960年代の後半からトランジスターを使用した機器の製作を始めました。
東通工(SONY)の1TXX等は使った経験はなく、NECからマイクロなんとかいったシリコントランジスター2SC185とかそういった型番だったと思います。
高周波特性がよく安価なものが出回るようになってからです。

基板にマジックインキで直描きから始めましたが、マジックインキの種類によって出来映えがずいぶん違いました。
各社の各色(全部ではありません)をいろいろ試しましたが、私が使った範囲ではパイロットのペイントマーカー?のホワイトが、一番良かったように記憶しています。
ホワイトが良かったのは意外ですが !
基板へののりが良く基板の下処理が少しいい加減でも、結構な出来映えでした。

衛星通信からマイクロウェーブの世界へ

1970代から1980年代にかけて、衛星通信(アンテナが固定で回転できませんので少しの時間だけ)をちょっとだけ。
衛星通信を運用する過程で144MHz,430MHzのトランスバーターを製作し以後マイクロウェーブに憑りつかれていきます。

プリント基板の製作には、まだこの時期はマジックインキ、レタリング、テープを使用しておりました。これ以後の事についてはいずれ改めて。



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