トランジスターは少々カゲがうすくなってきましたがまだまだ健在です

この記事は約9分で読めます。
トランジスター

アメリカ・AT&Tベル研究所のウィリアム・ショックレー、ジョン・バーディーン、ウォルター・ブラッテンが発明したトランジスタが初めて公開されたのが1948年6月30日です。
後にこの3人はノーベル物理学賞を受賞しています。

トランジスタは半導体を用いて電気信号を増幅・発振させることができ、真空管と同じ働きをしながら小型・軽量・長寿命で消費電力が小さい等の利点があり、急速に普及して行った。
しかし、それ以前に増幅作用を持つ固体素子についての考察は何件かありました。

日本でも1940年代にNHK技術研究所に勤務していた内田秀男が増幅作用のある「三極鉱石」の研究を進めていた記録が残されています。
トランジスタは日本人が発明したと言われる所以である

内田 秀男氏はNHK技術研究所に勤め、後、内田ラジオ技術研究所長となった工学博士で、福井県出身。
後に秋葉原にもお店を開かれており、お亡くなりになった後は夫人が守っておられましたが、残念ながら今はなくなってしまいました。

昭和20年代より「無線と実験」誌などに同じNHK技術研究所の杉本哲と共に多数寄稿されておりました。
私も子どもの頃にはよく読ませていただきました。

「無線と実験」も現在ではオーディオ雑誌となった「MJ無線と実験」とはずいぶん異なり当時は文字通り無線が主体でありました。

私も中学生の時に同紙の読者の実験室に投稿して、500円を頂いた記憶があります。
なぜだか学校経由で頂戴して面はゆい思いをした記憶も残っております。
またこの頃は今と違って無線関係の雑誌がたくさん発行されておりました。

日本でのトランジスタの最初の量産は、1954年頃に東京通信工業(現ソニー)が開始し、翌1955年に同社から日本初のトランジスタラジオ「TR-55」が商品化されました。
その後相次いで大手電機メーカも量産を開始し、1958年あたりには主要な電機メーカーからトランジスタラジオが商品化される。

このとき東京通信工業の主任研究員であった江崎玲於奈氏はエサキダイオードを発明し、1973年にノーベル物理学賞を受賞している。

私がトランジスタを弄りだしたのは少し後の事で1960年代の後半からトランジスターを使用した機器の製作を始めました。
東通工(SONY)の1TXX等は使った経験はなく、NECからマイクロディスクとかいったシリコントランジスター、高周波特性がよく安価なものが出回るようになってからです。
その辺の顛末は先日投稿したアマチュア無線局JA2FJGを開局して58年 ! 我ながらよく続いたと感心する !に述べてあります。

基板にマジックインキで直描きから始めましたが、マジックインキの種類によって出来映えがずいぶん違いましたので、各社の各色(全部ではありません)をいろいろ試しましたが、私が使った範囲ではパイロットのペイントマーカー?のホワイトが、一番良かったように記憶しています。
ホワイトが良かったのは意外ですが、基板へののりが良く基板の下処理が少しいい加減でも、結構な出来映えでした。

後にマイクロウェーブに熱中していた頃は 随分「高電子移動度トランジス(HEMT)」のお世話になりました。
先日この「高電子移動度トランジスタ(HEMT)」を発明した株式会社富士通研究所 名誉フェローの三村 髙志氏が京都賞を受賞されました。
喜ばしい限りです。

トランジスターをはじめ半導体はアールエスコンポーネンツ株式会社で、主要メーカー製の半導体デバイスを幅広く提供しています。



無線機の買取依頼は川花書房へ!